ヤング・エッセイ

スモールワールドにビッグオーシャンな随想録です

犬ネットワーク

夕方4〜5時頃のベッドタウンは、犬を連れた人がとても多い。

 

連れているのは、だいたい女性で、かくいう私も女だ。独特の親近感があり、また、実際、「犬ネットワーク」的なものを形成していた。

それを形成している「層」からして、「ママ友」っぽい雰囲気があり、露骨に「犬ネットワーク」を行使している女性とは、反りが合わず、私はすかさず「犬の散歩を任されている子ども(被扶養者)」の仮面を被ってしまう。もう21なのに。

すると、彼女たちは、フリーダイヤルで固定電話にかけてくるコールセンターの人々がそうなるように、目前に1人分の人間の存在を認知出来ず、通り過ぎたなにかモヤのような「人影(私)」と、その横を歩く「犬」に微笑みかけるだけで、スルーしてしまうのである。と、私は思っている。やり手のCIA並みに、彼女たちのネットワークに、名も顔も残さずにやり過ごすことができる。と、私は思っている。

だから、先日、スルーすると見せかけて「こないだマムシに噛まれてワンちゃんが亡くなったそうだから、草むらには気をつけてくださいね」と声をかけられたときには、ドキッとした。そして、「これが選挙権を有するということか・・・」と思った。

まあそもそも、それが「犬・ネットワーク」であるからには、連れの「オスカーちゃん」は否応無く頭数に入れられているのかもしれない。ちなみに「オスカーちゃん」の犬種は、なぜか近頃、この街で数を増やしている。もちろん、繁殖という意味ではなく、この種の定住者数のことである。

そして、街の景色にはいくつかのパターンがあるようで、「しば犬」を連れているのは、だいたい「リタイア後のオジサン」だった。この「しば・ネットワーク」は、互いに干渉はせず、テレパシーのようなもので暗黙のうちに形成されており、深いため息のように、どこまでも静かでしかし強い「引き」を持つのであった。

 

先日、散歩の途中で、黒いラブラドールを連れた夫婦と少し言葉を交わした。昔ラブラドールを飼っていたことがあるので、親しみ深かった。ちょっとだけ触らせてもらった。つやつやしていた。奥さんは、明るい人だった。

「私もジャック(犬種:ジャック・ラッセル・テリア)、欲しかったのよね。運動量、すごいでしょ。」

「そう、ですね。・・・激しいです。」

はははと笑い、別れた。標準語だったな、と思った。

 

私は、知らない人と話すのが、けっこう好きなのだ。服屋の店員さんとか、橋の欄干に手をかけて突っ立っている人とか。もう少し歳をとったら、見境なくしゃべりかける、ちっちゃいおばちゃんになってしまうかもしれない。「おばちゃんになる」と文字に起こすと末恐ろしい感じがあるな・・・出来ればなりたくない。別に希望しなくても勝手にそうなるようなので、抵抗する分には自由か。

 

今の私にとって、身分を語るのは気が引けた。

中途半端に身分を知られていると、それについて現状を言わなければならなかったし、その現状について、あれこれと評価されることになって、面倒なのだ。それは、私の現状が、身分に対して誰からも評価されない現状だと、分かっているからだが。

「家で犬を飼っていて、時々散歩に連れて行く私」というのは実に率直で人畜無害で、かわいらしい存在であり、私について それだけを知っている「知らない人たち」は、そんなかわいい私の存在を、かわいいまま居させてくれるのである。